これまでの活動を、活かし、未来に備えるためのアーカイブプロジェクトの一環として、支援活動に多大な協力をしていただいた、市民航空災害支援センターの竹田様と、株式会社壱輝の大道様をお招きして座談会を行いました。
プロのパイロットとして震災前から災害支援活動に備えていた竹田様と、距離にして6万5千キロにわたる支援物資輸送を行ってきたプロドライバーの大道様から貴重なお話を伺い、支援活動を通じた様々な気づきを共有することができました。
後日、まとめたものを当webサイトで公開したいと考えています。
中小企業サポートチームで気仙沼市大島のフェリー港のある浦の浜での商店再開事業を進めてきました。
中小企業庁の支援制度申請をお手伝いした「ぐりーんあいらんどオオシマ」様より「本日開店できました」とご連絡をいただきました。
ボランティアの皆様のお陰ですということと、ぜひ遊びにいらして下さいと仰っていました。
取り急ぎご報告いたします。
※写真は2011年12月28日の建物引き渡し時
2月19日開催された、東日本大震災復興NPO支援全国プロジェクト「第2回支援フォーラム」に参加いたしました。壇上にて活動報告をさせていただきました。
中小企業サポートチームの活動の報告と、現地支部撤退後の活動内容(アーカイブプロジェクト、SOS対応)についてご報告させていただきました。
日本ユニバ震災対策チームは、多くのご支援者とボランティアの力によって運営されています。
引き続きご支援ご協力をよろしくお願いいたします。
1月31日、ユニバの支部が活動していた山田町にある高齢者福祉施設から、水道管が凍結して困っているという連絡がありました。この施設は仮設住宅でディサービスをしているのですが、最近のニュースで伝えられているとおり、厳しい寒さのために水道管が凍結してしまいました。ドライヤーを使って対応していましたが、それにも限度があるため、布団乾燥機が欲しいとのことでした。
緊急の支援として、ご連絡を頂いた当日に布団乾燥機をお送りしました。支部の活動終了後も、困ったことがあればご連絡を頂けるようお伝えしてあったのですが、今回はその経緯で行政の支援が届かなかった部分をサポートすることができました。

日本ユニバ震災対策チームへのご支援ありがとうございます。私たちは、
この2つを柱に、それぞれの拠点で様々な支援プロジェクトを行ってきました。
被災地の状況が目まぐるしく変化すること、またそれに伴い活動が多岐に亘るため、なかなかその全容についてご報告する機会を持てませんでした。震災から4ヶ月経ち、支援活動の内容も変化して来ましたので、改めましてこれまでの活動をまとめてお伝えすべく、スタッフがまとめましたレポートを掲載いたします。
これからも、長い目で被災地の復興を見守り、また私たちの今後の活動にご助力いただければ幸いです。
東京都千代田区/3月12日〜/活動報告facebook
日本ユニバーサルデザイン研究機構は元々、人の持つ様々な特性に着目する視点から、災害関連死を防ぐ対応を指導、情報発信してきた立場です。3月11日に大震災が起き、避難所となっていた気仙沼の医療施設(老人介護保健施設)から3月12日に要請を受け、ヘリコプターでの移送により現地へ入り最初のコーディネートを行ったのが3月13日です。帰り道は陸路で、複数の医療福祉事業所を経由してコーディネートしながら回りました。それぞれの被災地域の状況を、上空からと地上からと両方から見て、震災の状況を知ることが出来ました。また、災害時に各機関がどのような動きをするのかある程度把握できていたため、状況と照らして今後確実に必要になる物資の募集を始め、震災対策チームを立ち上げました。
3月13日より、医療機関を中心に避難所で足りなくなるであろう物資と、物資を運びながら被災調査をしてくれる調査ドライバーや、関連するボランティアを、関係者を通じて広く募集。その後、集まったボランティアで把握できる全ての避難所に電話をかけ、行政から孤立している避難所がないか、避難所の状況と必要な物資を調査しました。電話の通じない場所にはドライバーを直接派遣して現状把握に努めました。また、同時にパンク状態となっていた支援者や支援団体からの問い合わせメールや電話の対応をし、支援が必要な人と支援をしたい人を繋げる活動を行いました。
各支部・倉庫の活動が始まり、それぞれとの連絡の橋渡し、情報集め、支援者からの問い合わせに答えるなど、現在は支援活動の情報の中継地点となっていますので、被災地での実施プロジェクトには何らかの形ですべて関わっています。
東京都江戸川区新堀/3月20日〜/活動報告facebook
全国から物資が大量に届くようになり、本部では受け入れ場所が足りなくなったところ、埼玉NPOハウス様の倉庫を一時的に提供していただいて保管、必要なものは順次避難所へ送りました。その直後、京葉アドバンス物流様が江戸川区倉庫を提供して下さることになり、3月20日から物資配送の中継地点として活動を開始。
全国から届く支援物資をボランティアが仕分けし、被災地の避難所や日本ユニバ本部、支部と連絡を取り合い、必要な物資が適切なタイミングで被災地に届くよう配送を手配しています。
岩手県下閉伊郡山田町/4月2日〜/活動報告BLOG
物資支援と状況把握のために最初に調査ドライバーが現地に派遣されたのは3月19日。役場へ行ったところ、行政、避難所、すべてが混乱している状況でした。当時、山田町は道路的にもアクセスが悪く、支援しづらい孤立した地域となっていたため、まずはここに拠点を作ることにしました。
4月2日、地元のお寺・宝珠院様の駐車場に拠点を構えました。住み込みで地域の人たちと密着して支援を行っていくため、スーパーハウスというコンテナを建て、山田ベースと呼び、ここで地元の方々のニーズを把握し、東京本部との連絡ミーティングを行い、実際の支援を行っています。初期は各避難所への物資輸送と情報収集を実施。現在は主に、復興に向けて中小企業の支援や仮設住宅での自治会設立の手伝いを行っています。
宮城県気仙沼市大島/4月26日〜6月末/活動報告facebook
気仙沼大島の旅館「椿荘花月」様からSOSメールをいただき、最初に物資配送で調査ドライバーが現地に入ったのは4月16日。島という特性上アクセスが悪かったことと、現地の聞きとりを行ったところ、外部からのボランティアが長期的ではなく短期でしか入っていなかったため、地元の方々が疲弊していることが分かりました。そこで、拠点を作って長期的に支援することになりました。
旅館「明海荘」様に4月26日に拠点を作り、約1ヶ月半滞在。自立を促す支援を行い、緊急避難向けの拠点としては6月末に撤退。現在は協力団体の現地コーディネイトや、健康診断キットの実施などを行っています。
気仙沼大島支部 実施プロジェクト =物資配送/ ボランティアコーディネート/ 健康診断/ 炊き出し/ マッサージ/ 医療機関支援/ ファッション/ 漁業再開/ 眼科医療/ 避難所コーディネート(二次避難)/ 保育園・幼稚園支援/ 支援者団体支援/ 掃除/ 中小企業支援
福島県いわき市/3月25日〜/活動報告BLOG
東京本部でボランティアとして活動を行っていたメンバーが、地元・いわき市の被災状況を知り、3月25日に自宅を事務所に設立。いわき市は、地震、津波、原発、風評被害の四重苦に苦しみ、他の被災地域とは別の孤立被災状況が生まれていました。カサノ特級保険様より倉庫をご提供いただき、4月1日に倉庫作業も本格始動。全国から届けられる物資を、現地ニーズのあるタイミングで届けていました。
現在では、原発の影響や井戸水汚染の不安のある幼児・児童施設や介護施設への水の提供を行っています。
山形県上山市/5月〜
被災地にアクセスしやすい場所として、クラフト様に倉庫をご提供いただき、事務所機能を準備中です。復興支援に中心を置いて活動していく予定です。
岩手県一関市/6月〜
復興に向けて雇用を生み出すこと、仕事を地元で再生するサポートをすることを目的に5月に設立。スタッフの経営経験やコンサルティング経験から、助成金の申請が必要だと思われる中小企業に情報支援、申請手続きのサポートを行っています。中小企業それぞれの状況を伺った上で、申請できる助成金があるのか調べ、どのように申請すればいいのかをアドバイスし、サポートをしています。現在は「雇用調整助成金」「仮設施設整備事業」等の申請のサポートを行っています。
宮手地区事務所 実施プロジェクト =中小企業支援
日本ユニバ震災対策チームが活動するきっかけとなった場所です。老人介護施設である「はまなすの丘」様より直接の要請があり、現地へ出向いてコーディネートを行いました。当時、入居者・スタッフの方150名ほどに加え、施設が高台にあったため地域住民の方150名ほどが避難してきている状態で、これらの人々がここで"命をつなげられる"状態を確保することが緊急の課題でした。インフラなどの施設の現状把握を行い、各部門チーフ、自治体職員、消防団、そして地域住民のまとめ役の皆さんと共にミーティングを行って体制を整え、短期、中期の計画を立て非常時の在庫管理などの指導を行いました。
実施拠点 =東京本部
物資配送は「被災地で必要とされるものを」「必要とされるタイミングで」運ぶことを重要視して行いました。そのためには皆様から送られた大量の物資を仕分けして管理することも大事な作業となります。
・仕分け
仕分けの種類は大まかに6種類、細かくは125種類。被災地によって状況が全く違うので、例えば食品などはライフラインが復旧している所としていない所で、必要に応じて送れるように分類しました。また、個人の方からの物資支援が多いので、賞味期限ごとに仕分けるという事も行っています。
衣類に関しては最初は防寒という目的があり、全てを失っている方も多かったので、衣類全般としてまずは送りましたが、一通りの防寒着が行きわたったと考えられた後は、サイズごと、季節ごとなどの細かい仕分けを行い、必要に応じて送っています。物資の中に手紙や、送ってくれた幼稚園の子供達が描いた絵などが入っていた場合は、なるべく現地に届けるようにしています。
・ボランティア受け入れ
また、ボランティアの受け入れ体制として、倉庫内作業は少しの時間だけでも、また、物資提供のボランティアの方が飛び込みでも、仕分けから積み込みまで手伝えるようにしています。たくさんの方の手を経て、皆様からいただいた物資を、必要としている被災地の方へ届けることが出来ています。
・要望の検証
被災者自身が本当に必要な物資を把握できているとは限らないので、要求のあったものをただ送るのではなく、状況を検証しています。例えば強力な塩素系のトイレ洗剤の要望に対して、よく話を聞くとトイレが詰まっているのではなく、下水道の問題がある状況でした。そういった状況で洗剤を使うと避難所に有毒ガスがあふれる可能性があり、物資を送る代わりに地域を管轄している方に連絡し、対応を間違えないよう避難所の方に周知徹底するようにお願いしたこともありました。また、物資を送ることによって、新たに悲しむ人が現れるような支援にならないように、最善の努力を行っています。
集まったボランティアをPC班と電話班に分け、PC班は被災地の全ての想定避難所の連絡先と住所を調べて把握。そこに電話班が電話をかけて、行政から孤立している避難所がないか、避難所の状況と緊急に必要な物資を調査しました。その緊急のニーズを受けて、全国の皆様からいただいた物資をドライバーが直接届けに向かいました。また、まったく電話の通じない地域にも、状況把握のためにドライバーが物資を積んで調査に向かいました。
当時の常識として、「被災地に直接電話をかけてはいけない」ということがありましたが、今回は被災状況の全体像を把握しているところがなかったので、行政から取りこぼされる孤立被災地を作らないためにも一時的に必要な作業でした。
4月以後は、倉庫からやりとりのあった避難所にその後の状況を聞き取り調査し、引き続き物資支援が必要な場合は配送を行いました。
避難所に電話で調査を行う際、外部から個人の安否の確認が取れない状況でしたので、グーグル(Google)によって作られた「Person Finder」(安否情報確認システム)への登録を紹介し、避難所で手が回らない場合は本部で登録を代行させていただきました。自治体機能がしっかりしている地域は、どこが安否情報を把握しているのかの確認を行いました。
実施拠点 =東京本部
介護事業所自体が被災してなくなっている場所が多くありました。また、介護士さん、看護師さん、ヘルパーさんもすべて被災されていました。孤立しがちな高齢の被災者を支えていくために、ボランティアで来られた有資格者、経験のある方にヘルパーに一時的に入っていただきました。
実施拠点 =山田支部
血液採取を自分で出来るキットをメーカー様と関連医療機関様にご提供いただき、これを使って血液検査による健康診断を行いました。災害後には食事や環境の変化によって、体調不良や慢性疾患へのリスクが高まる恐れがあるので、その予防と早期発見を目的としたものです。
大島では、まず5月頭に地元のボランティアの方々と希望者に対して行いました。経過を見て、1ヶ月後の6月頭に2回目を行いました。健康診断とはいえ、みんなで一斉に行うことで、イベント的なコミュニケーションの促進にもなりました。
いわき市では避難所に医師がいて定期的に巡回していたため、避難所に行かず、自宅に避難している高齢者の方々の家を5月1日、1件1件回って試験的に実施しました。地区ごとにネットワークを持っていた65歳以上の団体・高齢者クラブ様と連携して行いました。避難所では食料が配給ベースなのですが、自宅避難をしていた方々は自分たちのペースで食事を取り、そのために歩き回ったりこまごました作業をしたりなどの運動もあったせいか、自活している人たちのほうが健康だったという結果が現段階では出ています。
被災地の復興に欠かせないのが、中小企業の再建です。生きていく上で欠かせない「仕事」「雇用」を現地で作ることが必要です。そのために、経営のプロ、経営コンサルタントなどの方にボランティアとして現地に入っていただき、被災地の中小企業に向けて相談会を行っています。山田支部では、再開のお手伝いをした飲食店「磯よし」様をベースとして、大島支部では大島建設様に場所を提供していただいて、相談窓口を作りました。また、宮手地区では新規の活動拠点として中小企業サポートに特化した事務所を立ち上げました。
例えば国や自治体の助成金を受けたいという会社の相談に乗るなど、これから経営を立て直していくにあたって、コンサルティングも長期的に行う予定です。
山田町の幹線道路沿いの飲食店「磯よし」の再開支援を行いました。3月20日に物資配送中の調査ドライバーが道を尋ねた時は、電気もガスも水道も通っておらず、焚火で暖を取っている状況でした。その後電話などで時々連絡を取り、事業再開に向けて支援を行うことになりました。発電機を貸し出し、被災してがれきと泥が散乱していた店内の掃除から始まり、開店準備を手伝い、5月1日の開店から5日間限定でボランティアが3名、洗い場とホールに入りました。その後は、現地雇用につなげました。
お客様は8割が地元の方ですが、。おじいちゃんおばあちゃんが地元に住んでいて、被災されたからとお子さんが都会から戻ってきて、家がこんな状況だから外で食べよう...という家族連れの方が多かったようです。このお店が、復興支援の流れを作る「場」にもなりました。その後も継続した支援を行い、中小企業サポートプロジェクトの助成金の相談や経営相談の説明会会場としても使わせていただいています。
実施拠点 =山田支部
気仙沼大島で5月3〜4日に、それまでの体育館など大型避難所から、家族単位で旅館7箇所に移る二次避難のコーディネートを行いました。二次避難先の割り振りは自治体で行っていたので、入るまでと、入った後に問題が発生しにくいように、また、何か問題が起きた場合の調整役として、皆さんに寄り添わせていただきました。
お父様、お母様方がご遺体を探しに行くため、その間子供を見ていて欲しい、という要望がありました。日中に起きた震災なので、子供たちはいろいろなものを見ている可能性があり、負っている心の傷は深いはずです。また、お父さんお母さんが失業されて、不安を抱えている中で一緒にいるということもあり、子供たちへの支援はとても重要です。
最初の段階では赤ちゃんへの粉ミルクやおむつなどの物資を届けてきましたが、保育園、幼稚園の状況が整ってきたため、その支援を行いました。遊具が流されてしまったため、遊具メーカー様からすべり台など大きな遊具をご提供いただきました。4tトラックが幼稚園に入れなかったため、手前でばらしてみんなで運びました。子供たちが元気になれば、それを見る大人たちも元気になります。
また、イベントとしてベイブレード大会やサッカー大会などを開き、児童館を回ったりもしています。
避難所には高齢者がたくさんいますが、場所は学校の体育館だったりするので、トイレなどにてすりがついていないことも多くあります。そこで実際に二次被害が起きていました。震災で助かった後に寝たきりになる方が結構いらっしゃるのですが、最近寝たきりになった方が、頭から顔まで全面すごいアザになっていました。津波でそのようなけがをしたんだろうなと思いがちですが、話を聞くとトイレで転んで怪我をし、寝たきりになっているとのことでした。
一般的にも、自宅のトイレやお風呂で転んだり...ということをきっかけに寝たきりになるということはよくあることなので、避難所に手すりを付けることを提案しました。しかしどこの避難所も工事を行うには様々な許可が必要なため、工事をしなくても付けられる、耐荷重がある手すりを現場に付けるよう働きかけました。実際にとりつけてみることによって、良くなった、ということを見て、要望が上がってくるようになりました。例えば、二人の介助が必要だった方が、一人の介助でトイレが出来るようになったり、手すりが必要な人がいると分かるだけでも、そういった状況の被災者の孤立化が防げます。こういった支援の形は見えなくなりがちなので、それをいかに引き出すかが大事です。
なお、手すりの据え付けには、責任者の方の同行をお願いし、その後、手すりが機能しているかどうかのフォロー訪問を実施しました。
実施拠点 =山田支部
寝たきりになった方の褥瘡(床ずれ)防止のために、ふとんメーカー様よりご提供いただいた無圧ふとんを寝たきりの方、可能性のある方を見つけて支給していきました。こちらが見つけることが大事でした。要望をただ聞いても避難所では1件もないと返事が来たからです。ですが、そういうことが必要な方はいませんか?と現場に足を運んで探しに行ったら、結果的には複数名いらっしゃいました。必要な方でも、避難所の中では声をあげづらいので、こういったニーズを形に出来たことは良かったと思います。
実施拠点 =山田支部
私たちが炊き出しを行うのではなく、被災しながらも炊き出しを行っている現地の方々の後方支援として、炊き出しを行いました。
例えば大島には小学校と中学校がそれぞれ一つしかありませんが、そこの合同運動会の時にお昼ご飯の炊き出しをしました。生徒さんだけではなく、参加した保護者の皆さん、職員の皆さんにも食べていただきました。大島にいる他のボランティア団体の皆さんと力を合わせて800食ほど作りました。
また、炊き出しを行いたい団体の調整をさせていただくこともあります。例えば、少ない数しか用意出来なくても、他の団体と一緒に行うことで規模を大きくしたり、カバーできる範囲を広げることも出来ました。
滞在ボランティアがプロのアロマセラピストだったことから、避難所の中で寝たきりの被災者のお世話をしている皆さんにマッサージを企画しました。実施してみると、避難所の皆さんがストレスから解放され、予想以上に元気になって感謝されたことから、継続的なプロジェクトとして立ち上げました。プロのマッサージ師、アロマセラピストをやっている方々に募集をかけ、4〜5人で部隊を編成し、一日かけてマッサージを行います。会話を通じて、ちょっとした体の不調の早期発見にもつながっています。
マッサージそのものはもちろん、そこで交わす身体を触れながらのコミュニケーションは、避難所での被災者同士の孤立を防いだり、コミュニティを活性化する結果となりました。このプロジェクトにおいては新たな団体が立ち上げられ、活動を続けています。
日本いきいきライフ協力機構(通称:JILCA/ジルカ)
マッサージ実施日(プロボランティア稼働人数)⇒4/17(山)1名、5/1(大)1名、5/11〜12(大)4名、6/21〜22(山)5名
被災された病院がいつオープンするか、等の医療関係の情報を皆さんに伝えると共に、医薬品のニーズを訊いたり、どういう病院が必要か...等の調査を行いました。実際に、耳鼻科と眼科は被災してしまって再開が難しいため、眼科医療プロジェクトにつなげました。医療に関わる情報を聞きとり、お医者様のコーディネートを行っています。
実施拠点 =気仙沼大島支部
全国の皆様から数多くの支援のお洋服を届けていただきましたが、震災から時間が経つにつれ、初期の緊急な「生命維持に必要な衣料品」から、「自分らしく生きるための衣料品」へと被災地のニーズも変化しました。そこで、ファッション業界に関わった経験を持つボランティアが現地でコーディネートを行いました。
箱に山積みになっていた衣料品を、種類、サイズごとに分け、綺麗にたたみ直し、ハンガーにかけて見やすくし、ショップのような形で配布会を行ったところ、皆さんに喜んで受け取っていただくことが出来ました。これが好評だったことから、他の地区からも要請がありコーディネートを行いました。
実施拠点 =気仙沼大島支部
被災地の現状や、私たちの活動を海外の人にも広く知ってもらうため、英語版のFacebookファンページを立ち上げ、日本語のページと並行してアップデートを続けてきました。また、英語版の公式Webサイトおよび各種資料等の英訳も随時進めています。
翻訳チームでは10数名のスタッフが活動しています。物資やボランティアスタッフの募集などと同じくソーシャルネットワークを通じて集まった人たちで、職業 として翻訳関係の仕事をされている人もいます。連絡や情報共有にネットを活用することで、コストをかけず効率的な作業を実現しています。
また、映像チームがYouTubeの日本ユニバチャンネルで公開している映像に英語字幕を付加するなど、これからも海外に向けて被災地の現状や私達の活動を知ってもらうための取り組みを続けていく予定です。
実施拠点 =東京本部
映像制作のプロでもあるボランティアスタッフが中心になり、現地での活動内容や、本部・各支部の様子などを撮影し、記録しています。一部公開が可能なものはYouTubeの日本ユニバチャンネルで紹介しています。私たちは物資提供以外にも数多くの活動を行っているため、これらを支援者の皆様や一般の方に見ていただくことも目的のひとつです。一時期は、本部の責任者や現地のリーダーが活動報告を行うニュース形式の映像を作り、スタッフ間での情報共有に活用していました。
一方で、公開する映像以外にも、支援の開始当初からの現地の様子や被災地で活動する人々の様子を継続的に記録しており、アーカイブとしても貴重な内容を残す役割を担っています。
実施拠点 =東京本部
全国でも屈指の大手医院「井上 眼科医院」様のご協力により、「大島総合開発センター」において、眼科医療プロジェクトを行いました。気仙沼市内では眼科を持っている医院が地震による被害を受けたことで、定期的な眼科検診が受けにくい状態が続いていました。また、気仙沼大島は、島という地域特性からも、他の地域より眼科医療に対するサポートが必要な状況と判断しました。
同センターに設けられた臨時の診療所では、なるべく多くの人に少ない待ち時間で診察を受けてもらうため、動線や診察手順を考えた設備・スタッフの配置を行いました。また、診察当日の朝には島の広報車で放送するなど、地元の協力も得て周知を行い、3日間で330人の診察を行うことができました。
この取り組みは現地の医療施設の復旧状態を見ながら、今後も継続的に行っていく予定です。
実施拠点 =気仙沼大島支部
広報・デザインチームでは、主にWebサイトを通じた情報提供を行っています。物資・活動資金の募集や、スタッフの活動報告などがその中心です。公式Webサイト以外 にも、ボランティアスタッフが活動の記録や現地の情報などを書き込むFacebookファンページを管理・運営。さらに、翻訳チームとの協力で英語版の公式Webサイトもオープンしました。また、ボランティア説明会向けのレジュメや、「東日本大震災復興NPO支援全国プロジェクト」のフォーラムで使用された中間 報告資料など、各種資料の作成も行っています。NUCのマークや、現場で活動するスタッフのためにベスト型のユニフォームもデザインしました。
実施拠点 =東京本部
3月下旬頃、いわき市内はガソリンがとても手に入りづらい状況で、支援物資の運搬を行っている団体や介護施設・訪問介護の職員などが車両を出せず、十分な活動を行うことができない状況でした。
そこで私たちは、ガソリンを入手できる最も近いエリアまで行って給油し、携行缶で運搬、いわき市内の医療機関や介護福祉施設、支援団体や個人支援家などに提供する活動を行いました。これにより、地元で活動する団体の能力を活かすことができ、支援者の支援につながったことで、その先にいる被災者への大きな波及効果が生まれました。この活動により、私たちが支援物資を集めて届けるだけではなく、復興・自立につながる支援を行っていることもお伝えすることができました。
実施拠点 =いわき支部
いわき支部では、もともと地元で活動していたNPO団体や、他の地方からボランティア活動を希望する団体などに対し、どの避難所でどのような支援が求められているか等の情報を提供し、活動が無駄なく効果的に被災者に届けられるよう"支援者団体を支援する"活動を行いました。
例えば、市内で炊き出しの活動を行っていた数名の高齢者と、遠方から支援のために出向いてきた団体を結びつけ、より大きな規模での炊き出しを行えるようにしたり、大規模な避難所だけでなく周囲の小さな避難所の分も含めて食事を作って運んでもらうなど、それぞれの団体が個別に活動するよりも、コーディネートによって支援活動をより大きく効果的なものになるよう活動しています。同時に、地元にいなければわからないようなきめ細かな情報を訪れるボランティアに伝えることで、支援活動と現地の実情とのミスマッチを防ぎ、多くの方に喜ばれるような活動につなげています。
こうして遠方の団体の方々が被災地の人々と良い関係を持つことで、長期にわたって度々支援活動に訪れてくれたり、さらに他の団体と結びつき、支援の輪がより広がる効果も生まれました。また、報道されにくかったいわき市や気仙沼大島の現状を広く知ってもらうことにもつながっています。
避難所や、医療機関などに掃除のプロがボランティアとして入り、掃除をさせていただきました。医療機関支援プロジェクトを行っていたプロチームと共に、石巻市の病院の側溝ヘドロ掻き出しと高圧洗浄を行ったほか、気仙沼大島では避難所、公民館などの施設のガラス、床清掃を行い、個人宅内では片づけとがれき撤去を行いました。
ものが片付くことで精神的に安定するだけでなく、二次被害につながるような健康上の問題も防ぐことができます。長期的な復興に向けて、掃除も大切な支援の一つです。
実施拠点 =気仙沼大島支部/ 石巻
ニーギニギ体操は、専用のボールを手に持って握り、握力の弛緩と緊張を繰り返すことで手の筋肉のバランスが整い、それによって脳の活性化につながるというものです。筋力の低下によるケガなどの二次被害を防止し、長期的に避難者の健康状態を向上させることを目的に、避難所などでこの体操を実施してもらうことを企画しました。
当初はこうしたイベントを実施する雰囲気ではないと拒否されることもありましたが、長期にわたる避難所生活において運動が必要なことが感覚的にわかってくる中で、ある避難所でラジオ体操を始めた方(高校で体育指導をされていました)がニーギニギ体操の説明に興味を持ち、取り入れてくださいました。結果的に、避難所の統廃合が進む中、継続的に行われて好評を得ています。
このプロジェクトは新たな団体が立ち上がり、活動を続けています。
Enjoy & Smile Project
実施拠点 =山田支部
たくさんのプロジェクトを立ち上げていく中で、わずかではありますが、当初考えていた結果に至らなかったものもありました。その点については、反省点として、長期的な今後の支援に結び付けていきたいと思っております。
健康診断プロジェクトが記事化され配信されました。
ご協力いただきました関係者の皆様へ御礼申し上げます。
4月25日開催された、東日本大震災復興NPO支援全国プロジェクト 準備会主催「東日本大震災復興NPO支援全国プロジェクト 設立総会&支援フォーラム」に参加いたしました。壇上にて活動報告をさせていただきました。報告内容は以下をご覧下さい。(概算の中間報告となります) 日本ユニバ震災対策チームは、多くのご支援者とボランティアの力によって運営されています。 引き続きご支援ご協力をよろしくお願いいたします。
継続的な支援を行っている地区
(東京本部や倉庫等に直接来て作業をした方の人数で、自宅でのボランティアは含まれません。通所しないボランティアの方も含めると、2011年4月22日現在までに、約1万人以上の方にご支援を頂いています。)
(支援者数の95.42%が個人)
日本ユニバでは「見えないリスクを回避する、見えない声をカタチにする」をスローガンに、様々な支援を行ってきました。その支援内容を以下8つのカテゴリーに分けてご紹介いたします。
通算96回(継続中)
通算306台/約285.5トン(トラック換算)
※交通手段の回復後、郵送や宅配便により送付した分の物資は含ま れません。
※306台の内訳:10tトラック2台、2tトラック26台、4tトラッ ク27台、乗用車251台。
通算82回(継続中)
通算37回(継続中)
通算41回(継続中)
通算187回(継続中)
通算27回(継続中)
同内容のPDFです。(520kb) midtermreport_110424.pdf
物資の提供、募金、ボランティアとしての参加など、様々な形で、本当に多くの方にご支援を頂き、お陰さまで、様々な孤立被災地の発見及び継続的な支援を行うことができました。心より御礼申し上げます。
まず、被災地SOS情報への対応と必要物資や人的支援のコーディネートを最優先という状況が続いており、ご支援者の皆様へのメールの返信に非常に時間がかかってしまっていますことをお詫びいたします。
また、現地レポートにつきましても、できるだけタイムリーにアップをしていきたいと考えておりましたが、思ったより多くの孤立避難場所が発見されているため、そちらへの支援を優先させていただいておりますことを、お詫びいたします。
現在、支援を最優先にしつつも、少しずつ、皆様へのメールのご返信やご回答を進めていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
先週から、発見できていない孤立避難所をなくすための最終チェックを行っています。 茨城から岩手までの地域にくまなく物資を積んだドライバーを派遣し、孤立した被災者に物資を届けつつ、未発見の孤立避難所を探しました。その結果、いくつかの、未発見の孤立避難所を見つけることに成功しています。(毎日輸送中。便の数は1日あたり1から10便で、現在は平均的には5から6便程度。現在支援が成功してきたことにより、便数は少なくなってきています。)
昨日(3月27日)もまた、自治体や自衛隊の支援がまったく届いていない状況の集落(約50戸70-80名)が発見されました。(当日も物資を渡しましたが、本日も、現地でヒアリングした必要物資を、2.5tトラックで送り出しました。このトラックは、近隣の避難所や電気の通っていない病院などにも連絡をし、同時に数箇所へ、本当に被災地で必要とされている物資のみに絞って、お届けしています。)
その他、東京からは、2000箇所以上に上る全避難所に、ボランティア30名体制で電話をかけ、命に関わる必要物資、未登録の安否情報、および避難所に避難できていない住民についての情報などをヒアリングし、当日から翌日中に何らかのアクションを起こすということをしてきました。現在は命の危険に関わる物資や人的支援について、各避難所から毎日連絡を受け付けています。
私たちが支援を開始した頃、孤立被災地は、特に甚大な被害を受け、陸路での輸送が困難な沿岸部でした。指定避難所ではないのに結果的に避難所になっている施設が多くありました。老人ホームやお寺、たった3軒の民家に60-80名が生活しているという場所等、損傷の少ない建物であるというだけで、形態は様々です。
しばらくすると、1階が崩れ閉じ込められている等何らかの理由で個人宅にいる人が、自宅の備蓄を使い果たし、困窮し始めました。
現在は、なんと被害が少なかった地域(避難所もない地域)が困窮するという現象が生まれています。津波の被害を受けた地域と比べれば、非常に状態が良いといっても、電気・ガスが止まり、水は白濁し飲めない状況ですが、他と比べると、避難するほどの状態ではないため、支援物資が届かない。その上ガソリンがなく、買い物に行けない。そういったところで、生命の危機がありました。
逆に、指定避難所であっても、原発の影響で、避難民を受け入れた避難所で本来よりも人数が増えたために、消費量が増え、物資の枯渇が起こり、困窮するという現象もありました。
自治体や自衛隊の支援の届かない「孤立被災地」の数は確実に減ってきています。ただし、完全になくなるには、まだまだ時間がかかりそうだという印象がぬぐえない状況です。
この2週間で、被災地の状況は大きく変化し、求められている支援が大きく変わろうとしています。今後の生命維持のための支援、及び復興のあり方について、現地の被災者と一緒になって、被災者主導、被災者中心で進めていく体制を構築し、具体的な計画を一緒に考えています。詳しい内容については、タイミングを見て、後日発表いたします。
一部、以下に紹介します。今後、見やすくまとめてそれぞれの被災地の状況もアップしていく予定です。
今回の写真紹介は、日本ユニバ震災対策チームの輸送ボランティアです。
日本ユニバ震災対策チームの輸送ボランティアは、
皆様からの救援物資を
積み込み、
物資のコーディネートや現地の受入れ態勢の構築をする役割
(写真の頃は、通常の避難所でも場所によっては物資が届いておらず、
トラックの扉が開き救援物資が見えたとき、
被災者から歓声と拍手が巻き起こったそうです。
写真左から2人目が日本ユニバ震災対策チームメンバー。)
救援物資を運ぶドライバーとしての役割と
市役所や自衛隊や現地のNPO及び、地元の被災者から、情報を収集し、
総合的に判断する調査員の役割や、
連携を図ったりといったコーディネータの役割も担っています。
(様々な場所で地元の被災者からヒアリングを行いながら、孤立避難所を探します。
写真左手前の男性が日本ユニバ震災対策チームメンバー。)
津波の影響で、バスが建物に載り、1階がふさがっていたり、
道路ごと、流されていたり、
船が建物の上に載っている